【新商品】熊おどし
見聞きすることと実感として熊はそこまで恐れる必要がないと・・・思ってる。
私の住む北海道のほぼ真ん中のほぼ山の中である占冠村は1902年に入植が始まり、村として始まったそうで、聞いた限りで正確ではないけれど熊で死んだ人はいないとか。
三毛別羆事件など非常にセンセーショナルなのでとんでもなく恐ろしい怪物のようだけど、私達人間の世界にシリアルキラーがいるように必ず例外事例はある。
シリアルキラーをピックアップして人間の本質を語ったらそれはそれは恐ろしい怪物ですよ、人間。宇宙人と遭遇した際はもっと一般的な善良で優しい人間を紹介したいものです。
まあ、宇宙人しかり、熊もまた接触しようとはしてこない。幸い臆病であり、争いを好む習性はない。また雑食であり樹の実やフキなどを食す。
というわけで報道的に熊が〜熊が〜と恐怖の煽りをして来たとしても過剰に恐れ、過剰に対策(兎にも角にも駆除など)する必要はないと・・・私は思う。
山は楽しい。山は美しい。山最高である。
というわけで、熊と私達のソーシャルディスタンスを図るアイテムです。
こちら熊おどし。
このようにお使いください。
【新商品】熊おどし
みんな大好きクマちゃん。
絶対に出会いたくない熊さん。
というわけで、最強に男心と鼓膜に響くアイテム、それが【熊おどし】。
VOCKショップ→熊おどしのページ
さて、ちょっと高級に作ってみたのですが、本来は竹筒だったみたいですよ。もっとシンプルな安価版の製作も検討しています。あとワークショップもいいかもね〜。
BMBと熊脅し
私は全く興味がなかった。
そう、あれは567が始まり、私服警察が自主的に世を取り締まり始めた頃、妻が自転車を趣味にすると宣言。
近所の友達の家に行く坂道すら歩くのを嫌がっていた妻が・・・。なんて無謀な人だろうと思ってたら、妻は本気だった🔥
炙られ、火がつき、気づけば私は林道を必死に漕ぎ上がっていた🚵♂
今や趣味の欄に「MTB」と堂々と書ける!!
さらに私にとってMTBとはボルダー探しであり、一石二鳥。むしろ新ジャンルBMB(Boulder search Mountain Bike)なのよ。
着実にボルダーを見つけてる中、とにかくクマの痕跡に出くわす回数が爆上がり。
そこで木工家として
お互いのために存在アピールの熊脅しを製作。
熊スプレーと熊鈴、それにおもちゃの火薬銃は持っていたんだけど、この熊脅しというアイテムは知らなかったんだけど、たまたま教えてもらい試作となりました。
アナログで、ちょっと面白くて、見せびらかしたくなる感じ・・・良いですよね〜。
感慨深き赤岩青巌峡ボルダートポ
この度、ついに赤岩青巌峡ボルダートポが発行されました。
製作者には相談頂いており、無事発行となりご苦労さまでしたといいたいです。
私が初登したと思われる課題もいくつも掲載され、非常に感慨深いです。
と言うのは・・・遡ること20年ちょい前の事です。私は大学の探検部に所属していました。実は元探検部部長です。なんとも怪しい肩書でしょう。
1年、2年とケイビング(洞窟)に明け暮れていましたが、そこは学生。めちゃくちゃ脇が甘い私達一行は地図も持っていなかったので遭難をしました。今考えるとありえないんですが、そういう年頃としか言いようがない。
あ、これは、もしかしたら、詰んだかな?
と何度か思った後、なんとか無事生還。
その経験から、昨今、都市伝説的に語られる事のある大学生が地底湖で行方不明になった事件を聞いて、そのくらいの事はあり得ると私は思ってる。私も地底湖ダイブやってた。そんで友達溺れかけてたの見てる。
脱線しましたが、遭難後にこのままじゃ近いうちにまた遭難すると感じてクライミングに傾倒し始めた。そして探検部夏の合宿で私は北海道の岩に目星をつけたのです。
日本百岩場を見て目指すは赤岩青巌峡。当時、私は東京住まい。脇に砂糖の大学生の私は、予約が遅くて大洗(茨城)からのフェリーを取れず、青森から函館のフェリーに乗ることに。
こんな感じ。
東京から青森まで陸路で向かい、函館に上陸。
とりあえず小樽の赤岩に到着。とりあえずそこで力尽きてた・・・。
すんげー遠いんだわ。
回復したら赤岩青巌峡まで行こうと思いながら2週間小樽赤岩でダラダラ過ごし・・・・・・・・・帰ったんだわ。
敗因はたくさんあるけど、苫小牧に着けなかった時点で負け確定ですね。
その後色々あって東京を離れ東北の山里に住んでいたら原発事故。移住を決意し占冠(しむかっぷ)へ。
赤岩違い事件から10年の時を経て赤岩青巌峡(占冠)に辿り着く。否、移り住む。
赤岩青巌峡は基本的にルートの岩場なのでルートを堪能しつつ、登れそうなボルダーは単独で掃除して登ってみてた。
なにせほぼ単独なので初登なのかどうかは分からないし、聞く人も周りにいなかった。あと、勝手に初登と発表してしまい怒られるのも面倒だと思っていたので(そういう事件が時々あるんですよ!!)濁しながらやってた。
そんな折に今回トポ製作する男が現れた。それがまだ10代ですよ。私が濁しまくっていた種々の出来事を一生懸命調べ上げ、わかる限りに明確にし、一冊のトポにまとめ上げた。
正直言って・・・めちゃくちゃ・・・脇が閉まってる!!
私が北海道を迷走した後に生まれた男の所業として、今、今更、爪の垢を分けていただきたい気分で私は本書を開帳させていただいております。ありがとー!!
ね、感慨深いでしょ😊
ヤッコローちゃん
当ブログにも以前度々登場していた我が家のワンコ
秋に亡くなりました。
思い返すと初対面が私が山里に引っ越した日に峠で荷物満載の車に並走してきた謎の犬。
その後、役場に捨て犬として一時保護され、保護していた人が泊まりの用事で数日預かって欲しいと連れてきた犬。
戻ってきた役場の人に、おそらく捨て犬(成犬)なので殺処分か私が飼うかの実質一択の選択肢を与えられ、仕方なく飼うことにした犬。
動物病院で去勢してもらう時に多分4歳位と言われた犬。
飼ってみたら、ああ、こりゃ、捨てられるなぁ〜と思うにいたる犬。やって欲しくないことから優先的に実行するタイプ。
最大の事件は脱走して高速道路に侵入しNEXCOの車に追い回された件。冷や汗タライ一杯。家庭内の事件の範疇超えてる☠
そんな数々の事件を起こし、正直私は辛かった。そのくせ長生きで推定18歳くらい。最後の3年は死ぬ死ぬ詐欺で死にそうなのに元気に過ごした。
最後の3日は食べることをやめ、長い死ぬ死ぬ詐欺が終わりを告げる。
多くの事件を起こしたとは思えないほど安らかに眠るヤッコローちゃん。
大変だった思い出を連れて旅立った。そして蘇る楽しかった日々の思い出。
決して良縁ではなかった。奇妙な縁であった。私には辛くもあり面白くもあった。たぶんヤッコローもたくさん納得できなかった事もあろうし、面白くあったんじゃないかと思う。
今はお互いにホッとしている、そんな仲。
雪の季節
こちら、先日大雪でひたすら除雪の一日がありました。
昔は手作業でやっていたんだけど、工房と自宅があって、限界を感じて機械に頼っています。
とはいえ、一番小型の機械なので約50センチ以上積もっていると駄目。雪を崩す係と機械を押す係に別れます。なので今シーズン初の妻を招集。
強風の中で機械で除雪すると巻き上がった雪が戻ってくるパーターンがあって、これが顔に当たってめちゃくちゃ冷たく、さらにそれが溶けて風に当てられ痛い。
でもやらなければ埋まってしまう。吹き溜まりの積雪は余裕で1メートルを超えている。そうなってくるとなんか逆に興奮してくるんだよね。台風もそうだけど、なんかそういう遺伝子コードがあるんだろうね。生き抜くために興奮して一時的に生命力を高めるとか・・・。
そんなわけ、家の前で【夫婦寝ちゃ駄目だ劇場】を繰り広げる事なく、無事にこの日を越えられたんじゃないかな。ほんとうに一日中除雪をしていて疲れて布団でグッスリ寝た。
こちらはトマム保育所の子供たちのクライミング教室。
みんな良い子です。
こっちは大人と子供が混合の夜のボルダリング教室。
ゴール落ち続々でみんな悔しそうだったのぅ。
こちらは今日。
息子の成長が著しい。
そんな息子との今日の喧嘩は、思い通りにならなくて怒った息子が暴言を吐くので、「そんな口は雪で冷やしてやる」って雪を口に突っ込むふりをして揉み合っていたら息子のグーパンチが私の顔面に炸裂。多分偶発的。
その出来事に興奮してしまってさらに暴れ、ついに悪のキャパが限界を突破。突然泣きながらの「ゴメンナサイ〜」。
悪袋が弾ける瞬間を見たね。いいもん見た。
分かる人にしかわからなくて本当に申し訳ないけど、月原旬に轟烈雄が抱きつくあの瞬間のそのものだったわ。あー誰かと分かち合いたい😄
旧小林寫真館の思ひ出
北海道最古の写真館といえば・・・旧小林寫真館。
知る人ぞ知る、そして私が結婚写真を撮影していただいた写真館。惜しまれつつ先日閉館となりました。
私の思い出話になってしまうのですが、私は2011年の1月後半に入籍し、3月11日をきっかけに直線距離にしてだいたい50キロの原発が爆発を始めまして半年間の新婚逃避行の末に北海道に移り住んだのです。
移り住んだ当時は疲労困憊。将来の見通し濃霧警報。朧気な意識で日々を過ごしておりました。
入籍はしたものの、新婚旅行、披露宴、結婚写真、何もしていなかったので、義理の母よりせめて結婚写真を撮って見せて欲しいと頼まれ、正直あまり乗り気ではなかったのですが、撮影スタジオを探して出会ったのが旧小林寫真館だったのです。
レトロ&モダン。人生初のシルクハットを被れる。私は俄然やる気が出てきて函館へと赴いたのでした。
そして、私達夫婦を待ったいてくれたのはレトロ&モダンな建物にシルクハット、そしてシルクハットに金髪長髪でマシンガントークの館主にしてカメラマンの谷杉アキラ氏という人物だったのです。
当時、朧気に生きていた私は、突如としてはチャーリーとチョコレート工場的なファンタジーの世界に踏み込み、夢現に気づけば被写体として顔を作っていたのです。
今でも鮮明に蘇るこの記憶、現実だったのか夢だったのか・・・手元にあるアルバムが現実と言っておりますが、夢の線も捨てきれない私がいるのです・・・。
思い出話が長くなりましたが、4月13日のどさんこワイドでこの旧小林寫真館の閉館が特集され、館主の谷杉アキラ氏の印象深かった客人として私達夫婦が取材を受けたのです。
実は、今でも谷杉アキラ氏とは交流があり、非常に懇意にしていただいているのですが、この度、そこまで思いに残していただけていると存じ上げていなかったので、取材の話を頂いた時分には「なんで私なんかが?」と思いました。
しかしながら、非常にありがたいことであり、閉館に際して少しでも餞になればと思い了承させていただきました。
放送はSTVどさんこワイド(北海道内)で4月13日の18時台と聞いています。
取材はVOCKのギャラリーで受けております。また、使用されるかは不明ですが工房での撮影も少しありました。ほんの少しの出演ですが、よければ見てみてくださいませ。