2009.11.14 Saturday
ぶらぶら in ニュージーランド 4
ナカジがやって来た。現吉祥寺のクライミングジムVOLNYの店長さん。
この人はなかなか奥ゆかしく良くも悪くも適当で瞬間を楽しむ人だと思う。どうにも本人はスイッチを持っていてキレイなナカジと汚いナカジがいる。僕はどちらかというと汚いナカジの方がいいのだが最近はキレイなナカジなのでVOLNYのお客さんは店長の凄さを知らないと思う、よ。
ナカジがやってきて数日、アンデルがオーストラリアへと旅立った。それまでアンデルに関しても汚いアンデルしか知らなかったので旅立つその日、小奇麗にしていたアンデルに
「そんなに清潔な君を初めて見た」
と言ったらば
「こっちが本物だ」
と言ってた。まあ、ナカジ然り、僕も然りなんだが放浪中は汚いって言い出したらきりがなくなるのでその問題は主に放置される。
(だんだん人目をきにしなくなってくるので放火魔に見えるが違う)
そうそう、僕はこの放浪中に壮大な実験をしていた。石鹸をやめた。(合成洗剤はそれ以前に問題外ね)
というのも僕は健康オタクのふしがあり研究していくうちに石鹸不要説にたどり着いたわけです。
全然不要ってわけじゃなくて必要に応じてなのだが、そもそも毎日石鹸で身体を洗うというのは非常に不自然であると。頭もね。
全動物の中でそんな事をしているのは人間だけで、その行為自体も歴史が浅い。
また、皮脂は身体の乾燥を防ぐために自ら分泌しているわけでそれを毎日拭ってしまうのはどうか?さらには脂症の正体がこの毎日皮脂を拭う作業によるのだって。強制的に皮脂を拭う→皮脂が無くなる→体が以上事態を察知する→皮脂を大量分泌する。なんだそうだ。
さらに身体には常在菌という菌がいて体を覆っている。これはある種安定した状態で身体を覆うことで外部からの菌が侵入しにくくなるんだって。
身体を毎日石鹸で洗うというのは安定した状態を壊すわけです。
だから本当に必要だと思ったときだけで身体は擦り洗うが極力石鹸を使わないと。
(↑身体を洗いに行く放浪者の人)
まず、石鹸をやめるとすごい脂症になるんです。なぜならば常に皮脂増産体制だった体が急には止まれない。およそ三か月かけて身体が自然な動物的サイクルに入るのを耐え忍ぶ。この時期が辛い。頭皮が過敏になり痒いしなんかちょっと痛い。そして禿げたらやだなと思う。
それを超えるといまどき珍しい動物人間になれるわけ。頭の痒さ、痛みは和らぎ自称あまり臭くならない(髪は脂っぽいけども)。犬は犬臭く、猫は猫くさく、この時人は人臭くなるのである。
実はこの実験つい最近まで続いていたのです。およそ5年間。
理容師の知人に頭皮が炎症しているよと言われて石鹸シャンプーのだけは使うようにしだしたのがこの半年ですだ。
昨今の日本の状況を加味した上でこんなことを言うと汚い奴で終わってしまいそうだが、よくよく考えてみてほしい。合成洗剤系のシャンプーやボディーソープがうず高く並ぶ薬局やスーパー。合成洗剤は河川や海を汚し生命を汚し、我々人類にブーメランで戻ってきてんだぜ。表面的な潔癖が深層に染み入る汚れなのであります。
無くてもいいならあんま無くてもいいかな。そうでなくても微生物が分解できる石鹸を使うことを強くお勧めいたします。
それ以外にも色々あんだ。普通に暮らしていると分らないだろうけどいつ着替えたらいいのかわからなくなる。それは僕らだけかもしれないけど現代社会を生きいる状態より汚いということに鈍感になるしいつでも洗濯できるわけじゃないからあまり汚れていない(ように見える)ならば着替えなくなる。
それから安い肉は腐らせると美味くなるぞ。軽く心のメーターが振れちゃってるからこのことに気がついてからというのもの日中の車の中にわざと肉を放置してがっつり腐らせてから食っていたよ。腐るとね筋が無くなるのね。料理する前はすごく臭いんだけど食べるときは大丈夫。
当たった事がないと言えば嘘になるけどほとんど平気だったな。当たっても腹が下るだけだって思ってた。今思えば凄いもんだ。
いまだに普通の人は腐ってると思う肉を食える能力を備えております。
オススメだけどオススメしかねる。
夜には来客
名前忘れてしまったなぁ。これの親子がよく遊びにきたもんだ。そしてこいつはほんとによく道路で轢かれてんだ。お土産屋さんに行くとこいつの毛皮が売っているのです。NZLではメジャーな動物。
悩まされたのはネズミとゴキブリ。もともとNZLにはネズミっていなかったらしいんだけど今はたくさんいるよ。食べ物を食い荒らすんだ。常に悩みの種だった。
ゴキブリは羽がなくて小さい。飛ばないゴキブリだからただのゴキブリ。こっちはなれるとどーでも良くなる。
そんなきわきわの生き方をしつつナカジと岩に通っていたのです。
アコさん、ティム、山田ベーカリーズ、いろんな放浪者と友達になって岩場に行けば誰かいるだろって日々が続きます。
キャッスルヒルは石灰岩。スローパーとポケット天国。石灰岩と言えばのコルネはあまりなかったな。
(登って調子に乗っていたらば降りるは本当に命がけになってしまった。一分後にほんとに死ぬかもと思うとは夢にも思わない人の写真)
雨が降ると本当にする事がなく、日がな一日車の中で本を読んだり英語の勉強をしてみたり、今だからやりたいファミコンソフトベスト10を決めてみたりしていたわけです。
晴れれば
キャッスルヒルが迎えてくれる。
そんな日々が続きます。
その頃また新たに日本からタカさんなる男がやってくるんだ。たまたまネットの掲示板で知り合い合流することに。
この方が最初は申し訳ないが疑いたくなるほどのいい人で、いい人過ぎて腹が立つほど戸惑うほど。正直、タカさんという人が分かるまで時間がかかった。本当にいい人っているんだなぁ〜と思わしめるほどの好人物に海外で出会うとは。
そんな僕らに転機が訪れるのはアコさんとティムにワナカに誘われて。
さらばキャッスルヒル。
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2009.10.23 Friday
ぶらぶら in ニュージーランド 3
クライミング仲間も出来て楽しくなってきたある日の朝、テントから出ると白銀の世界。吹雪いて視界が悪い。
まず考えたのはこのまま雪が降り続けて一人でレイクピアソンに閉じ込めれれるかも知れないということ。50キロほど走らないと買い物できる街がない。食料が不足したまま閉じ込められると困るのでとりあえず街に買出しに行こうと。大きな街クライストチャーチまで120キロひた走る。
買出しを済ませて戻る最中も、雪はやまず、なんだか帰るのが面倒になってしまった。
クライストチャーチから70キロ走るり途中にあるスプリングフィールドのユースホステル【スマイリーズ】に宿泊する事に。実はここはクライミング仲間になったアコさんとティムが働いている。ユースホステルでは働いて賃金の換わりに食住を貰えるのだ。
それに女将さんが気さくで料理の上手な日本人なのだ。
どうもどうもとお邪魔して久々のナイロンじゃない家で暖をとる。ユースホステルではだいたい誰もが使えるくつろぎスペースのリビングとみんなのキッチンがあって、泊まっている旅人が集まって情報交換やゲームなどをする。
泊まる部屋がドミトリーという二段ベットがたくさんあるだけの詰め込み部屋なので寝る時意外は大体そういうくつろぐ部屋で過ごす。
僕もそういったリビングで休んでいたらアコさんからアンデルというスペイン人を紹介された。クライマーでキャッスルヒルに行くんだとか。
僕は英語はなんとなくしか分からず、なんとなくしかしゃべれない。よく一年も海外にたんだからぺらぺらでしょうと言われるけどそーでもないのあしからず。
アンデルとなんとなく会話をして
ア「キャッスルヒルで一緒に登ろうぜ」
自「いいよー」
みたいな会話をしていたんだが、本当はもっと事細かくてかなり端折って理解していた事を翌日知る。
翌朝、久々にベットで寝て気持ちよく目覚め、スマイリーズを発つ。車に乗り込むとアンデルもやって来て
「じゃあよろしく頼むな」
って。
あれ?この人車無いの?どうにもこうにも僕が端折っていた部分は「車が無いので便乗させてもらえないだろうか?」と「おまえのいるところで一緒に暮らしていいか?」の部分。
僕は「いいよー」って答えてたわけ。
この日からアンデルとの奇妙な二人暮らしが始まったわけだ。これが出会いってやつ。そんなもんだ。
アンデルはスペインでもバスク人。陽気でやたら頭のいい奴。年齢は一個上。英語はかなり喋れ、日本語にも興味津々。英語を教えてもらい日本語を教えてあげる。
(サブマリンボルダーの上にいるアンデル)
僕のテントの隣にテントを張り、朝は一緒にヨガを嗜み、日中は岩場に行き、夜は語学勉強。雨の日はチェスを教えてもらい死闘を繰り広げた。長いんだ、二時間以上かかる。
(夜は勉強とかしてる)
ある日、「スペインの友達がもう一人来るんだ。一緒に暮らしていいか?」と。もうね、大歓迎ね。
またまたえらい陽気。
レイクピアソンは今までスペインと日本の勢力が五分五分だったけどほぼスペインに。陽気に!!
車に乗るとね、もうね、騒がしい。
語学ってのは不思議なもので親しいなかになると大体なんて言っているのか分かるようになる。その人を含むニュアンスで解釈するので通じてしまうんだ。これが初対面だと同じ内容を喋っても全然伝わらない。親しさが足りない部分を埋めるんだ。
(岩場で)
そんな日々が一ヶ月弱続いた。まずマルコスが旅立ち近々アンデルもオーストラリアへ渡ると言う。
その前に僕の友人のナカジ君がニュージーランドへやってくることとなった。最初は仕事の都合で来るんだか来れないんだか分からなかったけれど仕事に目処がついたらしい。
僕とアンデルはナカジが到着すると告げた日時にクライストチャーチに出迎えに行く。
まあ、ナカジは今では三段をばかばか登る恐ろしい人なんだけど、この時は飛行機に乗っている間に日をまたぐ事を計算に入れず自分が出発した日を到着日として伝えるような緩い人。この人のこの緩さは時々尊敬に値するほどのレベルなので本当に恐ろしい。
この時はアンデルと僕はわけも分からず一日クライストチャーチで待ちぼうけ。結局到着日が明日だと分かって「あの野郎ー」と腹を立てていらばアンデルが晩飯を奢ってくれ
「今腹を立て、友人に嫌な気分をぶつけたらもっと嫌な気分になるだろう。そんなこと必要ないよ。楽しもう」
と窘めてくれたのは今でも時折場面場面で甦り自らを戒めてくれる良い言葉。
(クライストチャーチの大聖堂前で。まだナカジがやってこない事を知らずにノリノリだった二人)
かくしてナカジは翌日また迎えに来てもらえたのでした。
まず考えたのはこのまま雪が降り続けて一人でレイクピアソンに閉じ込めれれるかも知れないということ。50キロほど走らないと買い物できる街がない。食料が不足したまま閉じ込められると困るのでとりあえず街に買出しに行こうと。大きな街クライストチャーチまで120キロひた走る。
買出しを済ませて戻る最中も、雪はやまず、なんだか帰るのが面倒になってしまった。
クライストチャーチから70キロ走るり途中にあるスプリングフィールドのユースホステル【スマイリーズ】に宿泊する事に。実はここはクライミング仲間になったアコさんとティムが働いている。ユースホステルでは働いて賃金の換わりに食住を貰えるのだ。
それに女将さんが気さくで料理の上手な日本人なのだ。
どうもどうもとお邪魔して久々のナイロンじゃない家で暖をとる。ユースホステルではだいたい誰もが使えるくつろぎスペースのリビングとみんなのキッチンがあって、泊まっている旅人が集まって情報交換やゲームなどをする。
泊まる部屋がドミトリーという二段ベットがたくさんあるだけの詰め込み部屋なので寝る時意外は大体そういうくつろぐ部屋で過ごす。
僕もそういったリビングで休んでいたらアコさんからアンデルというスペイン人を紹介された。クライマーでキャッスルヒルに行くんだとか。
僕は英語はなんとなくしか分からず、なんとなくしかしゃべれない。よく一年も海外にたんだからぺらぺらでしょうと言われるけどそーでもないのあしからず。
アンデルとなんとなく会話をして
ア「キャッスルヒルで一緒に登ろうぜ」
自「いいよー」
みたいな会話をしていたんだが、本当はもっと事細かくてかなり端折って理解していた事を翌日知る。
翌朝、久々にベットで寝て気持ちよく目覚め、スマイリーズを発つ。車に乗り込むとアンデルもやって来て
「じゃあよろしく頼むな」
って。
あれ?この人車無いの?どうにもこうにも僕が端折っていた部分は「車が無いので便乗させてもらえないだろうか?」と「おまえのいるところで一緒に暮らしていいか?」の部分。
僕は「いいよー」って答えてたわけ。
この日からアンデルとの奇妙な二人暮らしが始まったわけだ。これが出会いってやつ。そんなもんだ。
アンデルはスペインでもバスク人。陽気でやたら頭のいい奴。年齢は一個上。英語はかなり喋れ、日本語にも興味津々。英語を教えてもらい日本語を教えてあげる。
(サブマリンボルダーの上にいるアンデル)
僕のテントの隣にテントを張り、朝は一緒にヨガを嗜み、日中は岩場に行き、夜は語学勉強。雨の日はチェスを教えてもらい死闘を繰り広げた。長いんだ、二時間以上かかる。
(夜は勉強とかしてる)
ある日、「スペインの友達がもう一人来るんだ。一緒に暮らしていいか?」と。もうね、大歓迎ね。
またまたえらい陽気。
レイクピアソンは今までスペインと日本の勢力が五分五分だったけどほぼスペインに。陽気に!!
車に乗るとね、もうね、騒がしい。
語学ってのは不思議なもので親しいなかになると大体なんて言っているのか分かるようになる。その人を含むニュアンスで解釈するので通じてしまうんだ。これが初対面だと同じ内容を喋っても全然伝わらない。親しさが足りない部分を埋めるんだ。
(岩場で)
そんな日々が一ヶ月弱続いた。まずマルコスが旅立ち近々アンデルもオーストラリアへ渡ると言う。
その前に僕の友人のナカジ君がニュージーランドへやってくることとなった。最初は仕事の都合で来るんだか来れないんだか分からなかったけれど仕事に目処がついたらしい。
僕とアンデルはナカジが到着すると告げた日時にクライストチャーチに出迎えに行く。
まあ、ナカジは今では三段をばかばか登る恐ろしい人なんだけど、この時は飛行機に乗っている間に日をまたぐ事を計算に入れず自分が出発した日を到着日として伝えるような緩い人。この人のこの緩さは時々尊敬に値するほどのレベルなので本当に恐ろしい。
この時はアンデルと僕はわけも分からず一日クライストチャーチで待ちぼうけ。結局到着日が明日だと分かって「あの野郎ー」と腹を立てていらばアンデルが晩飯を奢ってくれ
「今腹を立て、友人に嫌な気分をぶつけたらもっと嫌な気分になるだろう。そんなこと必要ないよ。楽しもう」
と窘めてくれたのは今でも時折場面場面で甦り自らを戒めてくれる良い言葉。
(クライストチャーチの大聖堂前で。まだナカジがやってこない事を知らずにノリノリだった二人)
かくしてナカジは翌日また迎えに来てもらえたのでした。
2009.10.19 Monday
ぶらぶら in ニュージーランド 2
レイクピアソンににてマジックマウンテンの二人用テントを張る。二人用テントとは知ってる人は分かるだろうけどかなり狭い。二人交互になってギリギリ眠れるだけのスペースだ。
ただ、狭いテントの方が防寒として正解かなと。しかもこの点とフライト本体だけでなく内側にももうひとつ層が作れる構造。なにせ家として一年間使うつもりだから寒いのは困る。
シュラフは−10℃までの化繊のもの。化繊にしたのは洗濯することを考慮して。
調理器具はMSRのウィスパーライトインターナショナル。これはレギュラーガソリンで使え、故障知らず。またガソリンをポンピングで圧縮して出すのでガス系と違い寒さで威力が弱まる事はない。ポンピングしだい。ガス系はまた空き缶がゴミにもなるからね。一度これを使えばガスには戻れないよ。
(↑なんか作ってる)
レイクピアソンにテントを設営し生活が始まった。
朝は寒いのでほどほどに陽がしっかり昇るのを待ち目覚め。昼食の準備をするしつつ朝食。朝食は昨晩の残り。晩飯は2倍作って朝飯を兼ねる。
時々湖の事を大浴場と呼び、入水する。10秒で限界が来る冷たさだったけども限界を超えて身体を洗う。
一日で一番頭がクリアになる瞬間。
眠眠打破いらずの頭で車を20キロ走らせるとキャッスルヒルにつく。岩がそびえ立ち城のように見える丘、それがキャッスルヒルだ。
(↑岩がもうはんぱない)
ニュージーランドでは日本よりも車上荒らしが多い。ぼろい車とはいえ生活用品が一式つまった倉庫の役割も兼ねているので気をつけなくてはいけない。日本ではあまり使っている人がいないハンドルロックを買って使っていた。
荷物はなるべく見えないように。
ゲートを開け、また閉じる。牛が逃げ出さないように。岩場には隣の牧場から出てきてしまった牛がよく歩いてるんだ。
(↑牛が有刺鉄線を越える瞬間。このゆるさがたまらん)
岩の取り付きに糞があるなんて茶飯事。慣れてくると乾燥さえしていれば手でどかせるようになる。僕はね。
広大なエリアはスピットルヒル、カンタムフィールドの二つに区切られている。
実は標高がそこそこ高く最初身体が慣れるまでは息切れする事もしばしば。
海外で一人ボルダリングを嗜むと一度休憩を入れると夢想に耽ってしまい危険。口がくっついて渇き、開かなくなるぜ。
何日かそんな日々を過ごしていたある日聞き覚えのある「がんば」の響き。ふらりふらりと遠巻きに近づく。やはり日本人だ!!嬉しいよー。
海外ツアーで来ていた日本の御一行。今でも時々ブログにコメントをくれるいーづかさんに始めて会ったのはこの時。
頼もしい。実に頼もしい。心が華やいだ瞬間。
数日ご一緒させてもらい、その間ニュージーランド在住中の日本人女性とイギリス人男性のカップルクライマーとその仲間達を紹介してもらう。この二人が凄いんだ。何かと人生における教えをいただいた。いーづかさん御一行帰国後も色んな岩場に一緒に行く事になる。
ちらほら仲間も作る事が出来、キャッスルヒルに行けばまずその仲間を探すのが日課に。みんなそれぞれいろんな国の人達で僕と同じようにクライミング目的でやって来ているので日がなクライミングばかりしている。
しかしね、ヨーロッパ圏の人達ってのは長期間海外で遊んじゃおうって考える人が日本人より断然多いように感じた。クライマーの集まる場所へ行くとローカルよりそういった人が多い事に気がつく。
それが大人になるための楽しい通過儀礼かのようにそれぞれ自身を磨く旅に出る。様々な出会い困難が卓上の勉学とは違った成長である事が認知されているのだと思う。日本ではどちらかというとやはり卓上の勉学が重視されているのだけど。
新卒じゃなきゃ就職が難しいなど変な風習があったりして良くないんだな。学校が終わって旅に出て就職するくらいがいいのだと思う。人が形成される上でモラトリアムに多様性がある方がいい。
日本は経済大国で不自由なく生きていけるという点で優れている。ただし年間分かってるだけで3万人くらい自殺しちゃう国なんだ。潜在的には行方不明者などを含めもっと自殺しているだろう。残業をし、休み無く働いてやっと維持している状態を是とするのか?と思ったらば僕は就職できなかったですだ。
ひょっとして人生ってもっと自由度が高いもんなんじゃないかって気がついたらばそれを大事にして下さい。ある常識が誰かの都合なんだと気がついたらば無視しちゃえばいい。誰かに文句を垂れられなくなる変わりに生かされる人生から生きている人生になるんじゃないかな?
ただ、狭いテントの方が防寒として正解かなと。しかもこの点とフライト本体だけでなく内側にももうひとつ層が作れる構造。なにせ家として一年間使うつもりだから寒いのは困る。
シュラフは−10℃までの化繊のもの。化繊にしたのは洗濯することを考慮して。
調理器具はMSRのウィスパーライトインターナショナル。これはレギュラーガソリンで使え、故障知らず。またガソリンをポンピングで圧縮して出すのでガス系と違い寒さで威力が弱まる事はない。ポンピングしだい。ガス系はまた空き缶がゴミにもなるからね。一度これを使えばガスには戻れないよ。
(↑なんか作ってる)
レイクピアソンにテントを設営し生活が始まった。
朝は寒いのでほどほどに陽がしっかり昇るのを待ち目覚め。昼食の準備をするしつつ朝食。朝食は昨晩の残り。晩飯は2倍作って朝飯を兼ねる。
時々湖の事を大浴場と呼び、入水する。10秒で限界が来る冷たさだったけども限界を超えて身体を洗う。
一日で一番頭がクリアになる瞬間。
眠眠打破いらずの頭で車を20キロ走らせるとキャッスルヒルにつく。岩がそびえ立ち城のように見える丘、それがキャッスルヒルだ。
(↑岩がもうはんぱない)
ニュージーランドでは日本よりも車上荒らしが多い。ぼろい車とはいえ生活用品が一式つまった倉庫の役割も兼ねているので気をつけなくてはいけない。日本ではあまり使っている人がいないハンドルロックを買って使っていた。
荷物はなるべく見えないように。
ゲートを開け、また閉じる。牛が逃げ出さないように。岩場には隣の牧場から出てきてしまった牛がよく歩いてるんだ。
(↑牛が有刺鉄線を越える瞬間。このゆるさがたまらん)
岩の取り付きに糞があるなんて茶飯事。慣れてくると乾燥さえしていれば手でどかせるようになる。僕はね。
広大なエリアはスピットルヒル、カンタムフィールドの二つに区切られている。
実は標高がそこそこ高く最初身体が慣れるまでは息切れする事もしばしば。
海外で一人ボルダリングを嗜むと一度休憩を入れると夢想に耽ってしまい危険。口がくっついて渇き、開かなくなるぜ。
何日かそんな日々を過ごしていたある日聞き覚えのある「がんば」の響き。ふらりふらりと遠巻きに近づく。やはり日本人だ!!嬉しいよー。
海外ツアーで来ていた日本の御一行。今でも時々ブログにコメントをくれるいーづかさんに始めて会ったのはこの時。
頼もしい。実に頼もしい。心が華やいだ瞬間。
数日ご一緒させてもらい、その間ニュージーランド在住中の日本人女性とイギリス人男性のカップルクライマーとその仲間達を紹介してもらう。この二人が凄いんだ。何かと人生における教えをいただいた。いーづかさん御一行帰国後も色んな岩場に一緒に行く事になる。
ちらほら仲間も作る事が出来、キャッスルヒルに行けばまずその仲間を探すのが日課に。みんなそれぞれいろんな国の人達で僕と同じようにクライミング目的でやって来ているので日がなクライミングばかりしている。
しかしね、ヨーロッパ圏の人達ってのは長期間海外で遊んじゃおうって考える人が日本人より断然多いように感じた。クライマーの集まる場所へ行くとローカルよりそういった人が多い事に気がつく。
それが大人になるための楽しい通過儀礼かのようにそれぞれ自身を磨く旅に出る。様々な出会い困難が卓上の勉学とは違った成長である事が認知されているのだと思う。日本ではどちらかというとやはり卓上の勉学が重視されているのだけど。
新卒じゃなきゃ就職が難しいなど変な風習があったりして良くないんだな。学校が終わって旅に出て就職するくらいがいいのだと思う。人が形成される上でモラトリアムに多様性がある方がいい。
日本は経済大国で不自由なく生きていけるという点で優れている。ただし年間分かってるだけで3万人くらい自殺しちゃう国なんだ。潜在的には行方不明者などを含めもっと自殺しているだろう。残業をし、休み無く働いてやっと維持している状態を是とするのか?と思ったらば僕は就職できなかったですだ。
ひょっとして人生ってもっと自由度が高いもんなんじゃないかって気がついたらばそれを大事にして下さい。ある常識が誰かの都合なんだと気がついたらば無視しちゃえばいい。誰かに文句を垂れられなくなる変わりに生かされる人生から生きている人生になるんじゃないかな?
2008.04.09 Wednesday
ぶらぶら in ニュージーランド 1
かなり前にこのブログで僕が以前一年近く行っていたニュージーランドの事を記事にすると言っていた事を憶えている方はいるでしょうか?
ついに何回かに渡ってニュージーランドのクライミング情報を交えつつ連載したいと思います。
ワーキングホリデー制度というかわいい子には旅をさせろ制度が存在する。この制度を採用している国では30歳以下であればワーキングホリデービザを発行してくれ、一年間の滞在と、短期アルバイトを認めてくれる。
僕は2005年夏、この制度でニュージーランドへ単身飛び立った。
実はニュージーランドは2度目。以前に訪れて気に入ったのでワーキングホリデー制度(以下ワーホリ)を利用して再度やってきたわけ。
大抵のワーホリの人はまず語学留学と称して学校に入り英語を勉強する。そこで友達を作って…という段階を踏む人が9割以上でそれをサポートする会社もたくさんある。
英語が出来ないのは例に漏れずも僕も一緒だったわけだが、なんでお金払って海外で英語の勉強しなきゃいけないのよ、と思っていたので華麗にスルー。
僕はユースホステルに滞在しながら車探しをする事から始めた。
(ちなみに僕が降り立ったのはニュージーランドの南島のクライストチャーチ。クライミングエリアが多いのは南島でクライストチャーチは北島にあるオークランドに続きニュージランドで二番目に大きい都市。ちなみに首都はウェリントン)
まず、車を探さなくてはいけない事にはわけがある。ニュージーランドはど田舎の国なので日本のように電車やバスで岩場に行って帰ってこれるということがない。だいたい、町を出ると次の町まで数十キロ何もないのはざら。
僕が目指すキャッスルヒルという岩場まで100キロ。途中に小さな町が二つ。その他どこまでも続く牧場だ。
だからまず車を借りるか買わないと岩場へ行けないといっていい。
そんな事情からかニュージーランドでは車の個人売買が盛んだ。いたるところに張り紙がある。僕は張り紙探しで町を歩いて回った。当然英語なんだけど、ワーホリできている日本人も張り紙を出していて、日本人が出入りする場所には大抵「車売ります」の張り紙がある。
一週間くらい歩いて回って目星をつけ電話をして本人と交渉し900ドル(当時で65,000円くらい)で車を手に入れた。
ほんとは日本車でマニュアルでステーションワゴンって条件で探したんだけどフォードでオートまでハッチバックタイプになってしまった。
でも後姿がバックトゥーザフューチャーのデロリアンみたいでカッコイイのです。
↑テルスターという車
目的地キャッスルヒルはクライストチャーチの街から約100キロ。テントを晴れるのはキャッスルヒルを越えて街から110キロの地点のクレイギーバーンと呼ばれる森の中か120キロの地点のレイクピアソンの湖畔か。
ほとんどのクライマーがクレイギーバーンに居を構えるのだけどここにはカラスを越える極悪鳥キーアが生息していてその点で非常に惜しい場所。キーアはオウムの一種で鳴き声がうるさくいたずら好き、というかどうやったら迷惑をかけることが出来るのかを熟知してるとしか思えない悪い鳥だ。ほんと嫌な鳥なのに保護指定を受けている。
車を購入した日の夜、僕はクレイギーバーンの先のレイクピアソンにたどり着いた。
(クレーギーバーンやレイクピアソンのようにニュージーランドではとにかく街を出ると何もないので時々道路沿いに車の休憩所のようなスペースがある。そこに標識でキャンプが可能かや焚き火は可能かなどが記されている。日本のようなキャンプ場はあまりなく、本来のキャンプを楽しめる)
真っ暗でその日は誰もいなかった。日本では夏でもこっちは冬なのであまり野外活動をする人がいないのだ。
この後約3ヶ月この地にナイロンハウスの居を構える事となる。
この旅の目的には「ほんとに辛い」と思ってみるだった。特に予定らしい予定もなく節約しながら岩場を徘徊する僕はこの先「ほんとに辛い」と思えるのかどうか?
しかし第一回目はまだ岩場無し。小出しにね。
ついに何回かに渡ってニュージーランドのクライミング情報を交えつつ連載したいと思います。
ワーキングホリデー制度というかわいい子には旅をさせろ制度が存在する。この制度を採用している国では30歳以下であればワーキングホリデービザを発行してくれ、一年間の滞在と、短期アルバイトを認めてくれる。
僕は2005年夏、この制度でニュージーランドへ単身飛び立った。
実はニュージーランドは2度目。以前に訪れて気に入ったのでワーキングホリデー制度(以下ワーホリ)を利用して再度やってきたわけ。
大抵のワーホリの人はまず語学留学と称して学校に入り英語を勉強する。そこで友達を作って…という段階を踏む人が9割以上でそれをサポートする会社もたくさんある。
英語が出来ないのは例に漏れずも僕も一緒だったわけだが、なんでお金払って海外で英語の勉強しなきゃいけないのよ、と思っていたので華麗にスルー。
僕はユースホステルに滞在しながら車探しをする事から始めた。
(ちなみに僕が降り立ったのはニュージーランドの南島のクライストチャーチ。クライミングエリアが多いのは南島でクライストチャーチは北島にあるオークランドに続きニュージランドで二番目に大きい都市。ちなみに首都はウェリントン)
まず、車を探さなくてはいけない事にはわけがある。ニュージーランドはど田舎の国なので日本のように電車やバスで岩場に行って帰ってこれるということがない。だいたい、町を出ると次の町まで数十キロ何もないのはざら。
僕が目指すキャッスルヒルという岩場まで100キロ。途中に小さな町が二つ。その他どこまでも続く牧場だ。
だからまず車を借りるか買わないと岩場へ行けないといっていい。
そんな事情からかニュージーランドでは車の個人売買が盛んだ。いたるところに張り紙がある。僕は張り紙探しで町を歩いて回った。当然英語なんだけど、ワーホリできている日本人も張り紙を出していて、日本人が出入りする場所には大抵「車売ります」の張り紙がある。
一週間くらい歩いて回って目星をつけ電話をして本人と交渉し900ドル(当時で65,000円くらい)で車を手に入れた。
ほんとは日本車でマニュアルでステーションワゴンって条件で探したんだけどフォードでオートまでハッチバックタイプになってしまった。
でも後姿がバックトゥーザフューチャーのデロリアンみたいでカッコイイのです。
↑テルスターという車
目的地キャッスルヒルはクライストチャーチの街から約100キロ。テントを晴れるのはキャッスルヒルを越えて街から110キロの地点のクレイギーバーンと呼ばれる森の中か120キロの地点のレイクピアソンの湖畔か。
ほとんどのクライマーがクレイギーバーンに居を構えるのだけどここにはカラスを越える極悪鳥キーアが生息していてその点で非常に惜しい場所。キーアはオウムの一種で鳴き声がうるさくいたずら好き、というかどうやったら迷惑をかけることが出来るのかを熟知してるとしか思えない悪い鳥だ。ほんと嫌な鳥なのに保護指定を受けている。
車を購入した日の夜、僕はクレイギーバーンの先のレイクピアソンにたどり着いた。
(クレーギーバーンやレイクピアソンのようにニュージーランドではとにかく街を出ると何もないので時々道路沿いに車の休憩所のようなスペースがある。そこに標識でキャンプが可能かや焚き火は可能かなどが記されている。日本のようなキャンプ場はあまりなく、本来のキャンプを楽しめる)
真っ暗でその日は誰もいなかった。日本では夏でもこっちは冬なのであまり野外活動をする人がいないのだ。
この後約3ヶ月この地にナイロンハウスの居を構える事となる。
この旅の目的には「ほんとに辛い」と思ってみるだった。特に予定らしい予定もなく節約しながら岩場を徘徊する僕はこの先「ほんとに辛い」と思えるのかどうか?
しかし第一回目はまだ岩場無し。小出しにね。