2009.10.23 Friday
ぶらぶら in ニュージーランド 3
クライミング仲間も出来て楽しくなってきたある日の朝、テントから出ると白銀の世界。吹雪いて視界が悪い。
まず考えたのはこのまま雪が降り続けて一人でレイクピアソンに閉じ込めれれるかも知れないということ。50キロほど走らないと買い物できる街がない。食料が不足したまま閉じ込められると困るのでとりあえず街に買出しに行こうと。大きな街クライストチャーチまで120キロひた走る。
買出しを済ませて戻る最中も、雪はやまず、なんだか帰るのが面倒になってしまった。
クライストチャーチから70キロ走るり途中にあるスプリングフィールドのユースホステル【スマイリーズ】に宿泊する事に。実はここはクライミング仲間になったアコさんとティムが働いている。ユースホステルでは働いて賃金の換わりに食住を貰えるのだ。
それに女将さんが気さくで料理の上手な日本人なのだ。
どうもどうもとお邪魔して久々のナイロンじゃない家で暖をとる。ユースホステルではだいたい誰もが使えるくつろぎスペースのリビングとみんなのキッチンがあって、泊まっている旅人が集まって情報交換やゲームなどをする。
泊まる部屋がドミトリーという二段ベットがたくさんあるだけの詰め込み部屋なので寝る時意外は大体そういうくつろぐ部屋で過ごす。
僕もそういったリビングで休んでいたらアコさんからアンデルというスペイン人を紹介された。クライマーでキャッスルヒルに行くんだとか。
僕は英語はなんとなくしか分からず、なんとなくしかしゃべれない。よく一年も海外にたんだからぺらぺらでしょうと言われるけどそーでもないのあしからず。
アンデルとなんとなく会話をして
ア「キャッスルヒルで一緒に登ろうぜ」
自「いいよー」
みたいな会話をしていたんだが、本当はもっと事細かくてかなり端折って理解していた事を翌日知る。
翌朝、久々にベットで寝て気持ちよく目覚め、スマイリーズを発つ。車に乗り込むとアンデルもやって来て
「じゃあよろしく頼むな」
って。
あれ?この人車無いの?どうにもこうにも僕が端折っていた部分は「車が無いので便乗させてもらえないだろうか?」と「おまえのいるところで一緒に暮らしていいか?」の部分。
僕は「いいよー」って答えてたわけ。
この日からアンデルとの奇妙な二人暮らしが始まったわけだ。これが出会いってやつ。そんなもんだ。
アンデルはスペインでもバスク人。陽気でやたら頭のいい奴。年齢は一個上。英語はかなり喋れ、日本語にも興味津々。英語を教えてもらい日本語を教えてあげる。
(サブマリンボルダーの上にいるアンデル)
僕のテントの隣にテントを張り、朝は一緒にヨガを嗜み、日中は岩場に行き、夜は語学勉強。雨の日はチェスを教えてもらい死闘を繰り広げた。長いんだ、二時間以上かかる。
(夜は勉強とかしてる)
ある日、「スペインの友達がもう一人来るんだ。一緒に暮らしていいか?」と。もうね、大歓迎ね。
またまたえらい陽気。
レイクピアソンは今までスペインと日本の勢力が五分五分だったけどほぼスペインに。陽気に!!
車に乗るとね、もうね、騒がしい。
語学ってのは不思議なもので親しいなかになると大体なんて言っているのか分かるようになる。その人を含むニュアンスで解釈するので通じてしまうんだ。これが初対面だと同じ内容を喋っても全然伝わらない。親しさが足りない部分を埋めるんだ。
(岩場で)
そんな日々が一ヶ月弱続いた。まずマルコスが旅立ち近々アンデルもオーストラリアへ渡ると言う。
その前に僕の友人のナカジ君がニュージーランドへやってくることとなった。最初は仕事の都合で来るんだか来れないんだか分からなかったけれど仕事に目処がついたらしい。
僕とアンデルはナカジが到着すると告げた日時にクライストチャーチに出迎えに行く。
まあ、ナカジは今では三段をばかばか登る恐ろしい人なんだけど、この時は飛行機に乗っている間に日をまたぐ事を計算に入れず自分が出発した日を到着日として伝えるような緩い人。この人のこの緩さは時々尊敬に値するほどのレベルなので本当に恐ろしい。
この時はアンデルと僕はわけも分からず一日クライストチャーチで待ちぼうけ。結局到着日が明日だと分かって「あの野郎ー」と腹を立てていらばアンデルが晩飯を奢ってくれ
「今腹を立て、友人に嫌な気分をぶつけたらもっと嫌な気分になるだろう。そんなこと必要ないよ。楽しもう」
と窘めてくれたのは今でも時折場面場面で甦り自らを戒めてくれる良い言葉。
(クライストチャーチの大聖堂前で。まだナカジがやってこない事を知らずにノリノリだった二人)
かくしてナカジは翌日また迎えに来てもらえたのでした。
まず考えたのはこのまま雪が降り続けて一人でレイクピアソンに閉じ込めれれるかも知れないということ。50キロほど走らないと買い物できる街がない。食料が不足したまま閉じ込められると困るのでとりあえず街に買出しに行こうと。大きな街クライストチャーチまで120キロひた走る。
買出しを済ませて戻る最中も、雪はやまず、なんだか帰るのが面倒になってしまった。
クライストチャーチから70キロ走るり途中にあるスプリングフィールドのユースホステル【スマイリーズ】に宿泊する事に。実はここはクライミング仲間になったアコさんとティムが働いている。ユースホステルでは働いて賃金の換わりに食住を貰えるのだ。
それに女将さんが気さくで料理の上手な日本人なのだ。
どうもどうもとお邪魔して久々のナイロンじゃない家で暖をとる。ユースホステルではだいたい誰もが使えるくつろぎスペースのリビングとみんなのキッチンがあって、泊まっている旅人が集まって情報交換やゲームなどをする。
泊まる部屋がドミトリーという二段ベットがたくさんあるだけの詰め込み部屋なので寝る時意外は大体そういうくつろぐ部屋で過ごす。
僕もそういったリビングで休んでいたらアコさんからアンデルというスペイン人を紹介された。クライマーでキャッスルヒルに行くんだとか。
僕は英語はなんとなくしか分からず、なんとなくしかしゃべれない。よく一年も海外にたんだからぺらぺらでしょうと言われるけどそーでもないのあしからず。
アンデルとなんとなく会話をして
ア「キャッスルヒルで一緒に登ろうぜ」
自「いいよー」
みたいな会話をしていたんだが、本当はもっと事細かくてかなり端折って理解していた事を翌日知る。
翌朝、久々にベットで寝て気持ちよく目覚め、スマイリーズを発つ。車に乗り込むとアンデルもやって来て
「じゃあよろしく頼むな」
って。
あれ?この人車無いの?どうにもこうにも僕が端折っていた部分は「車が無いので便乗させてもらえないだろうか?」と「おまえのいるところで一緒に暮らしていいか?」の部分。
僕は「いいよー」って答えてたわけ。
この日からアンデルとの奇妙な二人暮らしが始まったわけだ。これが出会いってやつ。そんなもんだ。
アンデルはスペインでもバスク人。陽気でやたら頭のいい奴。年齢は一個上。英語はかなり喋れ、日本語にも興味津々。英語を教えてもらい日本語を教えてあげる。
(サブマリンボルダーの上にいるアンデル)
僕のテントの隣にテントを張り、朝は一緒にヨガを嗜み、日中は岩場に行き、夜は語学勉強。雨の日はチェスを教えてもらい死闘を繰り広げた。長いんだ、二時間以上かかる。
(夜は勉強とかしてる)
ある日、「スペインの友達がもう一人来るんだ。一緒に暮らしていいか?」と。もうね、大歓迎ね。
またまたえらい陽気。
レイクピアソンは今までスペインと日本の勢力が五分五分だったけどほぼスペインに。陽気に!!
車に乗るとね、もうね、騒がしい。
語学ってのは不思議なもので親しいなかになると大体なんて言っているのか分かるようになる。その人を含むニュアンスで解釈するので通じてしまうんだ。これが初対面だと同じ内容を喋っても全然伝わらない。親しさが足りない部分を埋めるんだ。
(岩場で)
そんな日々が一ヶ月弱続いた。まずマルコスが旅立ち近々アンデルもオーストラリアへ渡ると言う。
その前に僕の友人のナカジ君がニュージーランドへやってくることとなった。最初は仕事の都合で来るんだか来れないんだか分からなかったけれど仕事に目処がついたらしい。
僕とアンデルはナカジが到着すると告げた日時にクライストチャーチに出迎えに行く。
まあ、ナカジは今では三段をばかばか登る恐ろしい人なんだけど、この時は飛行機に乗っている間に日をまたぐ事を計算に入れず自分が出発した日を到着日として伝えるような緩い人。この人のこの緩さは時々尊敬に値するほどのレベルなので本当に恐ろしい。
この時はアンデルと僕はわけも分からず一日クライストチャーチで待ちぼうけ。結局到着日が明日だと分かって「あの野郎ー」と腹を立てていらばアンデルが晩飯を奢ってくれ
「今腹を立て、友人に嫌な気分をぶつけたらもっと嫌な気分になるだろう。そんなこと必要ないよ。楽しもう」
と窘めてくれたのは今でも時折場面場面で甦り自らを戒めてくれる良い言葉。
(クライストチャーチの大聖堂前で。まだナカジがやってこない事を知らずにノリノリだった二人)
かくしてナカジは翌日また迎えに来てもらえたのでした。
- コメント
- 僕の知らない、ニュージーでの出来事だねー(笑)。
それにしてもナカジくんらしいわ。 -
- satocix
- 2009.10.24 Saturday 04:24
- おひさしぶり。
ナカジ伝説は多すぎて、またここには書けない様なことが多すぎてたくさん割愛する事になるけどすごい男だよね。 -
- 勘太郎
- 2009.10.24 Saturday 10:56
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